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医療経営者リレーインタビュー 第2回 医療法人社団啓仁会 安藤クリニック 院長 安藤広幸様

    
医療経営者インタビュー
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医療経営者リレーインタビュー 第2回 医療法人社団啓仁会 安藤クリニック...

マネジメントパートナー・エンの柴田です。

医療経営者インタビュー第2回目の医療経営者は、医療法人社団啓仁会 院長安藤広幸先生です。

前回の医療法人仁寿会グループ理事長加納先生よりご紹介いただきました。

今回は、肛門診療の専門医である安藤先生にご多用の中、弊社インタビューに快諾いただき、お時間を頂戴しました。

医師になろうとしたキッカケは何ですか?

安藤先生は安藤クリニックの4代目で、初代が岩村で開業され2代目の祖父が現在の多治見市へ小児科として移転されたようです。

その祖父ご自身の痔が悪く自ら治療していた経験から、世の中には痔の悪い人がたくさんいるだろうということで現在の肛門診療の専門医として始められ、3代目の父親も外科医としてその流れを踏襲してこられました。

医者の一家に生まれ、毎日患者さんを診療する祖父や父の姿を見て育ったこと、そして安藤先生の幼少期の頃より母親から「あなたは祖父や父のように医者になるのよ」と躾けられ、その帝王学が準備されていたこともあり、安藤先生も医者になることに何ら抵抗もなく名古屋大学医学部へ進学されました。

その後外科医として、岐阜県立多治見病院6年間、名古屋大学医局部3年間、名鉄病院2年半の後、安藤クリニックに戻られました。

今の病院を引き継いだ理由は何ですか?

安藤先生37歳で名鉄病院の勤務医のとき、先生ご自身の甲状腺異常の入院も重なり、

今後の将来を少し見つめ直そうと思っていた矢先、父親から戻ってこないかと声を掛けられたそうです。

父親も祖父から受け継いだのが35歳の頃であり、祖父はその当時65歳。

今の自分も当時の父親と同じ年代でもあり、父親も若くして事業を引き継ぎ、少し疲れているかもしれない。

今が良い機会だと思い、父親を早く助けようと実家へ戻ることを決意されました。

引き継いでから、一番困難だったことは何ですか?

安藤先生が一番苦労されたのは、二つ。

一つは、当時の院内運営でカルテの記入仕方に大病院とクリニックで大きな違いがあり、とても苦労されました。

また父親は安藤先生が当院へ戻られた初日にあらためて職員へ紹介することなく、そのまますぐ診療することになり、次世代への引継ぎは何も準備がされていなかったそうです。

そのため職員は、当初の間どちらの指示に従ったらよいかわからず様々な戸惑いがあり、二人の間にもギクシャクとした時間が数年続いたそうです。

二つ目は、父親の診療や手術は旧態依然とした方法であることに悩みがありました。

安藤先生の想いは、最先端の治療を導入することで患者さんへの身体的な負担が少なく早く健康になってもらうことです。

その時、どうやってそれを乗り越えて来られましたか?

安藤先生が、まず院内改革として最新のカルテ方式を導入されました。

当時のカルテは、父親が一人で多くの患者を診察し手術をこなす毎日だったためカルテに医師記録がまるでなく、それは会計の明細のようなものだったそうです。

安藤先生は、患者さんへより良い診察を提供するためにカルテに詳細な経過観察を記録する必要があると考え、当時の県病院からカルテ書式を取り寄せて改革を進められました。

医療現場で父親は何か細かいことを言うタイプではなく物静かな人だったので、安藤先生のやり方を認めてくれていたとのことです。

周りの職員も二人のそれぞれのやり方にうまく合わせてくれていため、少しずつ安藤先生の新しいやり方がスムーズに導入されていったとのことです。

そして安藤先生は、肛門外科の最先端の治療を提供する新しい取り組みをスタートさせました。

当時、東京新宿の社会保険中央総合病院といえば肛門外科のメッカともいわれる存在で、そこには国内の肛門外科医の権威として副院長の岩垂先生がいらっしゃいました。

安藤先生は、先輩医師を通じて岩垂先生の下で最新の肛門外科診療を学ぶことになります。

毎週火曜日、始発電車に乗り、朝9時から岩垂先生の手術に付き、多いときは1日15人くらいの手術を見学し、その日の夜遅く多治見へ戻る。

そして次の日には、通常診療をこなし、昨日学んだ岩垂先生流の手術を試してみるということを半年間続けられたそうです。

この取り組みで、痔の再発した患者さんから「あんな痛い手術は二度とやりたくない」と言われていたことがなくなり、

再診される患者さんも増え、安心、安全で痛くない医療を提供できるようになったとのことです。

その困難を振返り、医院経営において一番大切なものは何ですか?

安藤先生が大切にしているのは、患者さんを診察し適切な治療を施し、経過観察をしっかりやっていくこと、

痔だけでなくほかの内科治療もすることで患者さん一人ひとりに寄り添いトータル的な診療を提供していくことです。

今、先端医療を提供するがんセンター等は、その治療や手術だけに特化しているため、

それが終われば、かかりつけ医へ戻されてしまい、患者さんの経過すべてを見ているわけではない。

だから地域の医療人として患者さんに寄り添っていく必要があるとのことです。

以前、他の大きな病院でお尻の痛みと発熱で診てもらっていた患者さんが、MR、CT、血液検査等あらゆる検査をやって処方してもらったがまったく治らない。

その患者さんは痛みに耐えきれず、安藤先生に診てもらうと「痔ろう」と判明。

切開排膿術をするとたちまち楽になり「こんなことなら早く安藤先生のところへ来ればよかった」と言われたそうです。

安藤先生は、医療経営者として収益を考えれば、今の時代は検査を多用することが良いかもしれないが、すべてがそうではない。

医療には深い知識と多数の経験が必要であること。

そして痛みに苦しむ患者さんを助け、自分の思い描いたきれいな手術ができ、彼らが気持ち良く排便でき余分な腫れが残らないときが一番嬉しいと話されました。

先生のおすすめの本、または愛読している雑誌は何ですか?

安藤先生の愛読書は、「ヘッセの言葉」

1877年生まれ、「車輪の下」等の作品で有名なドイツ作家ヘルマン・ヘッセの名言集だそうです。

仕事で疲れた時に手にとって読み始めると癒される言葉の数々があるそうです。

以前に買ったものは何度も読み直しボロボロになったので、

最近、新しいものを買い直されたほどの愛読書だそうです。

先生の座右の銘は何ですか?

佐藤一斎の言志四録第61条

「一芸の士は、皆語る可し」

訳文

何の道でも名人は、皆共にその道を語ることができる。

ということは、一芸に達した人たちは、皆、話が通じ合うというものだというのである。

(出典:講談社学術文庫 言志四録(1)より)

安藤先生は外科医として自分の持つ技術で患者さんへ最高の治療を提供していく。

自分の手術が思うようにでき治療経過も順調に回復したとき、

それは一つのアートのようなものだと話されました。

【編集後記】

コロナ感染拡大で窓を開けながらのインタビューでした。

私は今回の取材で一番凄いと感じたのは、痔の専門医として極めるために

半年間、始発の電車に乗り日本の名医の下へ自ら学びに行かれたことです。

この行動は、患者さんのために尽くすという信念がないと絶対にできないものです。

頭を下げて師から学ぶ、本当に凄いと思いました。

私も40代を過ぎて製造業の経営者から全く違う業界へ飛び込み、

その後労働基準監督署で自分よりも若い監督官たちから労働トラブルへの対応の仕方を教えてもらったことは、私の今の仕事に大きく役立っています。

安藤先生もおっしゃっていましたが、そういう経験というのは、その後の人生や仕事に良い影響を与えてくれているということです。

最後に私は、安藤先生は患者さんの痛みと不安を取り除き、診察や手術でより健康な状態へ創造していく医療のアーティストだと思いました。

長時間にわたり、またコロナ感染時期にもかかわらず、笑顔で対応していただいたことに本当に感謝しています。

ありがとうございました。

【インタビュー日時】

2020年4月8日(水曜日) 医療法人社団啓仁会 安藤クリニック 理事長室にて

【今回の法人情報について】

法人名称 : 医療法人社団啓仁会 安藤クリニック

所在地  : 岐阜県多治見市豊岡町3丁目65番地

URL : https://andou-clinic.com/

電話 : 0572-22-9388

運営施設 : 安藤クリニック

・肛門外科

・一般内科

・消化器内科

・睡眠時無呼吸症候群への対応

この記事は、医療介護分野の職員の応募採用・教育評価からトラブル相談・制度改正への対応までトータルサポートする人事労務の専門家柴田秀樹(社会保険労務士)が執筆しました。

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