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私が社員に会社を廃業すると発表してから10日間でたたむまでのことを決心したのは税理士の一言だった!

    
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私が社員に会社を廃業すると発表してから10日間でたたむまでのことを決心し...

私が社員に朝礼で会社を廃業すると発表してから10日間でたたむまでのキッカケとその間の出来事をお伝えします。

私は大学卒業後、父親と伯父が兄弟で経営する陶磁器製造販売をする会社へ入社し、15年間勤務しました。

その後、父親と二人でその会社の製造部門(窯元)を買取り、40名弱の従業員と顧客をそのまま引き継いだ上で、新しい和食器を提供する会社を立ち上げました。

その買取金額と新規の設備投資のための資金調達として、銀行から数億円を借入して会社を設立しました。

そのため自宅の土地を担保に入れ、家族で連帯保証を組んで対応しました。

すでにこの時点で買い取った製造部門の年間売上高と借入額が、ほぼ同額になっていたので

私は、毎年の利益から借金返済するだけで何十年もかかり、自分の人生はそれだけで終わってしまうかもしれないと感じていました。

新会社は、少しでも利益が出せないとすぐに債務超過になってしまう状況でのスタートでした。

なぜそれまでにして伯父の会社から製造部門を買い取って新会社を設立したのか?

父と伯父が経営する会社は、製造部門と販売部門があり、

伯父は販売部門のトップで社長、父は製造部門のトップで副社長として、20年以上兄弟で会社を経営してきました。

しかし販売と製造では社長と副社長の考え方が違い、意見が対立し衝突することが頻繁にありました。

その結果、販売部門への設備や環境には多く資金をつぎ込むが、製造部門への資金は少ない。

そのため製造部門の設備投資が思うようにできず機械の老朽化が進み、業界の中から取り残される状況でした。

父は、私が入社して実力もつけてきたこともあり、伯父との方針が合わないのであれば、

製造部門を買い取って新しい会社を作り、私たちのやりたいように経営したいと言い出したのが新会社設立の理由です。

私は、父が弟ということで伯父に対して父の意見が通らず、父が常に辛い表情で、時には怒っている姿をそばで見ていたので

兄弟で会社を経営するものじゃないと思っていました。

私が小さい頃は、伯父もいい人だとは思っていましたが、会社に入り一緒に仕事をするようになると

伯父の良い面も悪い面も見るようになり、父の意見が通らない場面を何度も見ると私も腹が立ち悔しい思いを感じるようになりました。

私も小さい頃から窯元として働く父親の姿を見てきたし、自分もいつか社長なるんだ!と思っていましたから

だったら今がそのチャンスだから父と一緒に会社を大きくしていこうと決めました。

新会社は、父親が社長、私が専務、母が監査役となり、妻も事務員として働き、社員体制でした。

バブル崩壊後にもかかわらず、

会社設立1期目から売上、利益も順調に確保できていたのですが、平成15年5月の決算7期目で初めて赤字になりました。

その決算時の資金繰り状態は、現預金はかなり保有していたのですが、

支払手形の金額が受取手形の金額をあと数か月で超えてしまうような状況で、

この状況が続くと普通預金や定期預金を取り崩さなければならなくなる少し手前でした。

それまではヒット商品もあり順調だったのですが、新商品開発などが遅れた理由などから売上が急降下し始めていました。

私は、その状況から目を背け、家庭を振り返らず、仕事とゴルフばかりをやっていましたから、妻の嫁姑問題にはほとんど関わらず、

子供への配慮も欠けていたため、15年連れ添った妻と協議離婚することとなってしまいました。

離婚は決算7期目の2か月前の出来事で、子供ふたりを連れて出て行ってしまいました。

私にとって離婚は、「俺の気持ちをわからない嫁だ!」と最初は粋がっていましたが、

時間が経過するにつれ家へ帰っても自分の気持ちを話せる人がいないという不安の気に襲われるようになっていきました。

私は、急激な売上減少による資金繰りの悪化、離婚が重なり、この決算結果から今後をどうしようかと悩んでいました。

税理士事務所の職員さんが決算報告書を持ってきても、今後の明確なアドバイスなどありませんでした。

私は、会社の将来を誰に相談したらよいかもわからず時間だけが過ぎていきました。

私は、その不安な気持ちが片付かない苦しまぎれに、直接、顧問税理士に相談してみました。

それが平成15年7月9日

私と顧問税理士との間で、私が会社をたたむと決めた会話は次のようなものでした。

私 「先生、今回の決算で初めて赤字になったんですけど、今後、うちの会社をどうしたらよいでしょうか?」

税理士 「非常に厳しい状況だね」

~ 中略 ~

私 「先生、決算の数字を見られてどのように感じていらっしゃいますか?」

税理士 「そうね、今後の話は別として、今回の決算の貸借対照表を見る限り、今だったら会社をやめても借金をチャラにして終われると思うよ」

私 「それどういうことですか?」

税理士 「あなたの会社は現預金をしっかり持っている会社だから、それで銀行からの借入をある程度返済できるよ。その不足分は土地の売却で対応できると思うけど・・・」

私 「本当にそうですか?」

税理士 「ただし、それは今だけだけよ。もし半年後の正月に同じように借金をチャラして終われるか?って聞かれたら、売上の影響もあるからその時はわからないね」

私 「先生、今なんですね。わかりました」

税理士 「まぁ、今後のことだからよく考えて検討してください」

私 「ありがとうございました」

その時、私は税理士が言った「今だったら会社をやめても借金をチャラにして終われると思うよ」の言葉で、会社をたたむことを決心しました。

会社へ帰り、すべての社員が去った後、事務所で父、母と私の3人で税理士とのやり取りを報告し、私の考えを伝えました。

母は会社の資金繰りを担当していたので、銀行に短期借入を依頼すれば一時的にはしのげると言うものの

もうお金のことで毎日悩み、神経をすり減らすのは嫌だと言い出しました。

その話し合いの2、3日前に、私は仕事が上手くいかないことを忘れるため友人とお酒を飲みに行き、

夜中に帰宅し真っ暗なリビングへ入ると、暗闇の中に母がひとり膝を抱えて座っていました。

母は私の顔を見上げ

「お前はこの資金繰りが悪い時に、よく酒なんか飲みに行けるね。私は明日が心配で眠れない」と言って

私の帰りを待っていたこともありました。

そのこともあり、私は母がこれ以上会社の経営を続けるのが辛いということは感じていました。

私の決心をさらに後押ししたのは、

離婚し妻も子供もいなくなってしまったこと

父、母もすでに60歳後半の高齢であったこと、

幹部社員も高齢であったこと、私の右腕になる人がいなかったことなどなど

それらを考えると、将来、私(当時41歳)を支えてくれる人がいないと感じ、

私ひとりで機械管理、商品開発、資金繰り、その他社員の生活を守っていくだけの自信がなかったというのが本音です。

私は父に対して「もうこれ以上やっていく自信がない」と伝えました。

それと同時に「おやじは、どう思ってるの?」と聞きました。

父は、下をうつむきボソッと「お前らふたりがそう言うなら、もうやめてもいい」と一言でした。

過去に経営の状況が悪い時でも、父はいつも「商売をやっていれば、なんとかなる」が口ぐせで、

そんなことは気にするなと強引にやり続けてしまう力強さがありましたが、

今回はその言葉もなく、それ以後無言でした。

7月の夕陽が事務所へ赤く差し込み、暑い日でした。

私は、両親から「商売を継続していれば、なんとかなる!心配する必要なない」といつも言われ続けて20年近くやってきたこともあり、

経営をしているときは都合の悪い数字や出来事については見て見ぬふりをしていて、

重要なことを放っておいてもなんとかなるんじゃないかって、時間や世の中の景気が解決してくれると思っている自分がありました。

でも今回の決算結果は、なんともならないだろうと感じていました。

そして、私は自分の自信の無さをごまかし商売を続けるのであれば、将来会社を潰してしまうだろうと。

私は、それなら今、社員を路頭に迷わせることなく、社員へ支払えるものを支払い、

取引先にも迷惑を掛けずにやめれるのであれば、今、会社をたたむことが良いだろうと決心しました。

顧問税理士と会話した数時間後には、会社をたたむことが家族内で決まっていました。

私が今でも強く思うのは、

商売で大切なのは現実から目を背けず、それを知ったうえで対策を考え

小さなことからすぐに行動することではないでしょうか。

商売で「なんとかなる」は、絶対にないと思います。

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